生きづらさの克服

【不登校】不登校は甘え?【経験者による昔の自分へのメッセージ】

Summary

何を隠そうぼくは立派な不登校児でした。 中学3年生の頃に2週間に1回は学校を休む […]

何を隠そうぼくは立派な不登校児でした。

中学3年生の頃に2週間に1回は学校を休むようになって、高校1年生の頃には半年ほど連続して休んでしまいました。

その結果高校で原級処分という処分になりました。要するに留年です。

そんなぼくもはや26歳になっていまでは元気に生活しています。いまから不登校だったころを振り返って、

そのころの自分に投げかけたい言葉

をここに書いていこうとと思います。

 

親に味方になってもらおうとしなくていい

世の中そんなにできた人間ばかりではありません。

自分の子供が不登校になってしまったとき、「この子に元気でいてもらうにはどうしたらいいか」と考える親もいるでしょうし「世間様に顔向けができない!」とヒステリックになる親もいます。

ぼくの親は完全に後者でした。

親とて人間ですから人格的に未成熟な部分があるのは仕方がないと言えば仕方がないことです。

大切なのは、

伝えたいこと:その1

「おまえの親だってただの人間だし、立派なわけでも偉人なわけでもない。そんな‘‘普通”の人間の言うことを細かく聞く必要はないよ」

ということです。

これは親の立場に立ったらたいぶ突き放した言い方に聞こえるでしょうが、子供の立場からしたらこれくらいはっきり言ってほしかったと思います。

世の中の大人たちはだいたい親の味方ですから。(その方が立ち回りが楽ですしね)

中学生にもなったらだいぶ自分で考えられるようになっているでしょう。

ですから、表面上親の言うことをはいはい聞いて、腹には一物抱えてるくらいでいいと思います。

生活はまだまだ親に頼らなければなりませんからね。

 

本を読む力だけはつけた方がいい

本を読む力には人生で何度も助けられました。

だから、当時の本嫌いの自分に対してこれだけは言っておこうと思います。

 

伝えたいこと:その2

「時間はあるんだし漫画でもラノベでもなんでもいいからたくさん面白いと思える本を読んでおきな」

本を読むことはものすごく大切なことだと思います。

ぼくは本を読まずしてこの年まで生き残れたとは思いません。多分18,19歳くらいで自ら命を絶っていたと思います。そのくらい本には助けられました。

そして、本を読む時のポイントは「その時読んで面白いと思えるものを読め」ということです。

本を読めば読むほど知的なレベルは上がっていきます。だから今面白いと思えない本でも半年後に読むと面白いと思えるかもしれません。

こういう現象はよくあるので今読んで面白いと思えない本を読むのは時間の無駄です。必ず自分に合った本はあります。世の中には一体何億冊の本があるのかということです。

 

不登校くらいなんとかなる

最後はこれでしょう。

当時のぼくは不登校になってしまった自分に対して強い劣等感を持っていました。

しかし、今思っても絶対に自分の方がまともだったと思っています。親をはじめ周りの人たちはおかしかった。

そして、自分たちがおかしいということすらこの人たちは認識できないんだ、認識できるだけの能力がないんだ、ということに気づきました。

なので不登校になった理由がどうしても学校が辛いからという理由なのであれば無理する必要はありません。

 

伝えたいこと:その3

「不登校くらい大したデメリットにならない。むしろ人より違った視点で世の中見えるようになるだけメリットの方が大きい」

 

これを当時のぼくに言いたいです。

あくまでこれは過去の自分に対しての言葉なので、世の中すべての不登校児に対してなんとかなるなんて無責任なことをいうつもりはありません。

でも置かれた状況でもがくことをやめなければ浮かぶ瀬もあります。

あまり「こうすればきっと改善するはずだ!」なんていう画一的な思考に捕らわれず、本でも読みながらじっくり考えてください。

 

さいごに

以上、当時のぼくに対して伝えたいことでした。

これっておかしいんじゃないの?と思ったときには往々にして本当に世の中の方がおかしいもんです。

それを変えていく努力をするのはそれはそれで簡単なことではありません。

ただ、「自分がおかしい」と思っているか「おかしいのは世の中だけど偉い自分がそれを我慢してあげている」と思うかで気持ちの強さは変わってくるものです。

だから、あまり自分を責めず、自分の感覚を大切にして生きていくことが大切です。

 

 

 

 

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