子ども虐待について

【虐待】心理的虐待は甘えじゃない【見分け方と対処法】

Summary

親との関係が苦しい。でも、これって甘えなのかな? 親との関係がうまくいかず、自分 […]

心理的虐待は甘えじゃない

親との関係が苦しい。でも、これって甘えなのかな?

親との関係がうまくいかず、自分が悪いのか? と不安に思ってしまう。そういうこともあるかもしれません。

そんな状態で長年我慢を重ねれば誰でも心理的に不安定になっていくものです。

ここで重要なポイントは、現代では厚生労働省が正式に「心理的虐待」の存在を認めているということです。

心理的虐待での虐待相談は年々増加しています。

この記事では親との関係性で生まれる生きづらさを解き明かし、心理的虐待に気づき、生きやすい人生を切り開いていくための方法を模索していきましょう

この記事をおすすめしたい人・いま10代で自分の親が「まともじゃないんじゃないか」という気持ちが少しでもある人

・いま20代で思春期が終わっても親との関係が悪く家族との関係性にしこりがある人

・年齢に依らず親との折り合いの悪さが人生の他の部分にも悪影響をおよぼしている気がする人

それでは本題に進みましょう。

あなたが苦しいと思った時点で虐待はある

あなたが苦しいと思った時点でまずは虐待はあると思ってOKです。

なぜなら、虐待という概念はいじめと似ていて明確な境界線はありません

そして、これは本当に重要なことですが「全く虐待のない家庭」というものはありえません

虐待というものはハラスメントの一形態だと言えます。親子間のあいだに起こるハラスメントが虐待です。

ある程度大人になると、まったくハラスメントない環境なんて空気抵抗のない物理の世界と同じくらいあり得ない状態だというのは分かると思います。

耐えがたいほどひどいハラスメントでなければ問題にならないだけです。

これと同じで、親子間でも常にハラスメントは起きていてあなたにとって耐えがたいならそれはもう虐待といって構いません

それはあなたが弱いということを意味しません。単に親との人間の相性が悪いということも十分あり得ます。

お互い人間ですから。

たとえば、うちの家庭の例をあげると、

母親はクラスの中でも人気者なタイプ、父親はクラスの中では大人しく黙々と勉強するタイプでした。

ぼくは父の遺伝子を強くもらったのか勉強が得意でおとなしいタイプです。

結果的に母とはあまり相性が良くありませんでした。

母は「いじめられる人間はいじめられる方が悪い」なんて言い切るような人でしたから少し過激な人でしたが、ぼくにはそれが耐えられませんでした。

しかし、弟は母とうまくやっています。

こんな感じで、夫婦というものは様々な背景があって2人の人間がペアになるので、必ずしも同じ似た者同士がくっつくとは限りません。

すると、親子関係にも人間関係のミスマッチは起きて当然です。

ですから、大切なのは自分にとって居心地がよいかどうか

虐待という言葉を使うとどうしても仰々しく聞こえてしまいがちですが、「家庭があなたにとって居心地のよい場所である」という状態かどうかが一番のポイントなのです。

なので、居心地がよくないならよくない! と自信を持ってはっきりと言って大丈夫です

POINT大切なのは虐待かどうかをはっきりさせることではなく、自分にとって居心地がいいかどうか。

 

自分は甘えていないと自信を持っていい

これは少し良心が絡むので難しいですが、自分は甘えていないと自信を持っていいです

あなたの親も愛情が0ということはないでしょう。仮に愛情が0ならばどこかの時点で死んでいるはずです。

だからこそ、自分を育ててくれた大切な親に否定されると自分がおかしいのではないか、自分の方が甘えているのではないかと考えてしまって辛いという面もあります。

あなたが親に対して愛情を持っているからこそ、自分は甘えているんじゃないかと思ってしまうんです

しかし、心を鬼にして「間違っていることは間違っている」と言わなければなりません。

力のあるものが力に任せて他者の意志を捻じ曲げることを世間ではパワーハラスメントといいますが、家庭内ではしつけで済まされてしまいます。

しかし、小さな子供ならいざ知らず、もの心付いた子供の意志を踏みにじるような発言や態度はいかに相手が親だろうと許されてはなりません。

基本的人権は守られねばならないのです。

結論として、自分の意志が親の意志にそぐわないとしても、「自分は間違っていない、自分は甘えていない」と自信を持って大丈夫です。

POINT

たとえ親や大人たちが何と言おうと、あなたなりに頑張っているなら甘えてなんていない

 

虐待を乗り越えていく

それでは、虐待を乗り越えて自分が自分らしくいきるにはどうすれば良いか。

最も大切なところを考えていきましょう。

あなたのやりたいことを明確に

まずは「自分はこうしたいな」という方向性を明確にしていくことが大切です。

注意してもらいたいのはこれは将来の夢、なんて種類のものではなく、「こういうことができたら幸せだろうな」という漠然としたものでOKです。

具体的な将来の夢が叶うかどうかは運の要素が強すぎます

たとえば、イチローのお父さんが野球を知らなかったらイチローはメジャーリーガーにはなれなかった可能性が高いでしょう。

それと同じで、具体的な夢は努力をしても運次第です。

そうではなく、もっとふわっとしたものでいいのです。

  • 動物が好きだから、動物と関わってたいな。
  • 人と接するのは苦手だから、本をたくさん読めるような環境がほしいな。
  • 色んなところに旅行に行ける大人になりたいな

とか、最初はこういうのでいいです。

とくに10代の人はまだまだ自分がやりたいことなんてないでしょうが、ないなら探すことが最も大切なことです。

ぼくはいま26歳ですが、この年齢になってやっと方向性が定まってきたくらいです。

(ぼくの場合は、虐待問題をはじめ次の世代への負の遺産を少しでも軽くすることです。結構ふわっとしてるのでできることはたくさんあります。このブログもその一環です)

ただ、方向性を定めるのに暗中模索で色々やってみたことは着実に財産になっている実感がります。思いもよらないタイミングで次につながるからです。

だから、やりたいことがわからないなりに、置かれた状況で可能な精いっぱいの探索をするといいと思います。

なぜなら、人生において最も大切なことは自分が満足できることだからです

試行錯誤
試行錯誤

 

自分がどうすれば満足できるのか。

明日死ぬということを悟った時に「俺は生き切った!」とすがすがしく言うためにはどうしたらいいか。

そこを粘り強く考え抜きましょう。

ぼくの好きな言葉に「20歳の顔は自然からの贈り物よ」というココ・シャネルの言葉があります。

つまり、20歳の表情なんて自分の努力ではなくて、親やその他の環境に左右された運の産物に過ぎないということです。

だから、20歳で人生どん底でもまだまだそこからなのです

生きていくのはあなた

親がどんな人間であっても長い人生を生きていかなければならないのは自分です。

そして、子ども時代というのは長い人生への船出に備える時間です。

その時間を奪われることの悲惨さは目に余るものがあります。しかし、面白いのは良い準備ができればそれでよいというものでもないのが人生です。

最近YouTubeデビューして話題になった加藤秀視さんをはじめ、とてもつもない逆境を乗り越え、ひっくり返して成功している大人もいます。

逆に恵まれた子供時代を過ごしているように見えるのに根っこが曲がった人間もぼくはみたことがあります。

万事様々ということです。

だからこそ大切なのは、今その場において可能な準備をできるだけすればOKということです。

いままさに虐待に苦しんでいる人は、家庭では肩身が狭いでしょうができる範囲の準備をするという気概があれば大丈夫です。

また、すでに経済的には自立して虐待の後遺症に苦しんでいる人は、後遺症を癒すことに地道に取り組むことが最善の道でしょう。

少し話がずれましたが、いま置かれた環境でできるだけの準備をすることが虐待の負の連鎖から抜ける道です。

いつか来る自立の日を目指して

精神的に自立できる日はかならずきます。

根拠はありません。しかし、ぼくの実体験と強い直感からそう感じます。

虐待問題に関して、本人がその虐待や後遺症から解放されようともがき続けるかぎり、必ず克服できる日はきます。

なぜそう思うのかと聞かれたら困ります。世界はそういう風にできているとしか答えられません。

スピリチュアルに聞こえるかもしれませんがそうじゃないです。

この感覚に至るまでにかなり膨大な勉強をしました。哲学や心理学、様々なことを勉強しましたが、結論として自分の抱くこの感覚は正しいと思います。

後遺症は癒えます

だから、その来るべき解放の日を目指して、今できることだけで構いません。人に頼っても構いません。

なんならぼくのTwitterのDMは解放していますから、DMをくれれば相談に乗ります。

だから、あきらめず、粘り強く、生きてやりましょう。幸せになることをあきらめないでやりましょう。

POINT

人生には思いもよらない生き抜き方がある。

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