かなり大切な本たち

【読書】多読術【読書嫌いを読書好きに変えた本】

Summary

「読書は大切というけど、本はあまり好きじゃない……」 その気持ちものすごくわかり […]

多読術
tadokujutu

「読書は大切というけど、本はあまり好きじゃない……」

その気持ちものすごくわかります。

何を隠そうぼくは小学校6年間で3冊しか本を読んだ記憶がない生粋の本嫌いでした。

一体、読書感想文はどうしていたというのでしょう。

そんなぼくも中学・高校と進むにつれて読書の重要性というものは繰り返し聞いていました。

なんの変哲もない公立中高でしたが、それでも一部の尊敬できる先生やカッコいい先輩、OBの会社役員の方の講演会など、多くの機会で読書の重要性について耳にしました

なんとなくこのままではまずいなという風に感じたぼくはせめて「本が嫌い」という状態は改善しようと少しずつ本を読む努力をするようになりました。

その甲斐あって今では大の本好きです。

そして、読書の効果は本当にすごかったと思っています。

今回は、そんなぼくがたくさんの本を読めるようになるきっかけになった、本嫌いにも優しい松岡正剛さんの「多読術」を紹介したいと思います。

この記事はこんな人におすすめです。

おすすめしたい人・本が苦手だけど読めるようになりたい人

・本をたくさん読む人の考えを知りたい人

・本を読むことの効果を知りたい人

読書のハードルは高い?

読書というとどうしても高尚なもの・難しいものという印象があるかもしれません。

かつてのぼくもそう思っていたし、いまでも時々そう思ってしまうことがあります。

しかし、もし高尚という印象が読書を遠ざけるならきっぱり捨てちゃってもよいみたいです。

というのも、「読書=高尚」という認識は松岡正剛さんはきっぱり否定しています。

「多読術」の中に出てくる松岡さんの本の捉え方について、すごく好きな言葉があります。

読書に関する名言1まずは日々の営みの中でやっているようなカジュアルなものだと捉えた方がいい。たとえていえば、読書は何かを着ることに似ています。

これほど読書を上手に表している言葉はあまり見かけません。

読書は着るものに似ているんです

ファッションというものは世界からどう見られるかを決めるものですよね。

それと同じように読書は世界をどう見るかを決めるものだと言えます。

ですから、読書もファッションも世界とどう関わっていくかを決めるものだといっていいのです。

そういわれるととてもカジュアルなものに思えますよね。

読書は役に立つか?

読書

ここに関してはぼくは少し反省が必要なところです。

どうしても自分で書いた記事を読んでもらうには多少のキャッチーさが必要になります。

だから、「読書はとても役に立つ!」や「読書の効果!」なんて言葉を使ってしまいがちです。

しかし、本来読書は役に立つか立たないかで読むものでもない。

松岡さんは読書は役に立つかという問いにこう答えます。

読書に関する名言2何だって役に立ちますから、あえて麗々しくそういう風に思わなくてもいいんです。

読書に関する名言3「役に立つ読書」について聞かれるのがつまらない。それって、「役に立つ人生って何か」と聞くようなものですよ。そんなこと人それぞれですよ。

これらの言葉にははっとさせられるものがあります。

たしかに、ぼくにとっても読書は大切なものです。しかし、そこに「役に立つか否か」という判断基準を持ち込むことにどれほどの価値があるか。

これはよく考えるべきものです。

本来、人は幸せになりたいものでしょう。そして、人間にとっての幸せの形というのはとても複雑で難しい、でも本質的にそんなには難解ではない、そういう種類のものです。

本来簡単なものが難しく見えてしまう種類のものとでもいえばいいでしょうか。

本はそれを解きほぐすのを手伝ってくれます。

ぼくは本を読む人の方が幸せに近いと信じていますし、そう強く直感します。

しかし、それが「役に立つから」というのは少し違う。効率よく幸福になれればそれでいいというものでもない

人間本来の幸福について思い出せせてくれる瞬間は読書にもらえる貴重な体験であることは変わりませんが。

速く多く読むことは良いことか?

本を読む女性

ぼくが読書にそこまでなじめていなかったころ、やはりどうしても読書の速さと量にこだわってしまっていました

それは別に悪いことではないと思います。量を読むことで読書に対して自信を持てるのなら素晴らしいことだし、限られた時間でたくさんの本を読めるに越したことはありません。

しかし、そこが本質ではないこともまた確かです。

このことに関して松岡さんは非常に面白い見方を提案しています。

本は色々な読み方をするべきで、つまりは平均的な読書を求めてもダメだということですよ。ゆっくり読んでもいいし、お茶漬けをかきこむように読んでも、何人かで感想を言い合うために読んだっていいんです。いや、むしろそのようにギアチェンジをしてでも、多様な読み方をするべきですよ。 (p.125)

これは速読に足らわれるのがダメだという話から様々な読書があり得るという話に発展した際の言葉です。

読書というものは体験であり、ただ紙に目を落とすだけの営みではないのですから「平均的な読書」などというものを求めるな、という警鐘です。

これは本当にその通りですよね。

読書というのはもちろん「知識のインプット」という認識で済ませることも可能ですが、その認識だけで終わってしまうのは非常にもったいない。

ファッションのように世界との関わり方を作っていくことすらできる読書なのですから、自ら狭い領域に入り込んでいく必要はありませんよね。

最後に松岡さんが読書の多様性について面白い言葉を残しているので引用したいと思います。

「感読」「耽読」「惜読」「愛読」「敢読」「氾読」「食読」「録読」「味読」「雑読」「狭読」とか、また、「乱読」「吟読」「攻読」「系読」「引読」「広読」とか、それから「精読」「閑読」「蛮読」「散読」「粗読」「筋読」「熟読」「逆読」といったふうにね。それぞれどういう読み方か、想像してください。(p.126)

松岡さんはこれだけの多様な読書をぱっと思い出せるくらいにさまざまな読み方をしているようです。

ぼくはやっぱり読書を勧めたい

本と風景

この本を改めて読んで、それでもやっぱりぼくは本を読むことは大切だと言いたいと思います。

松岡さんの指摘しているように読書は世界との関わり方を作る非常に大切な1つの手段です。

服を着ない人がいないのと同じように、本を読まない人もいないくらいになっていいと思います。

やっぱりファッションにある程度のこだわりを持つ人とそうでない人とでは人に与える印象が違いますよね。

全員がおしゃれである必要はありませんが、やはり自分なりのファッションのこだわりを持っている人というのはその人の個性をしっかり持っているなという印象を受けます

つまり、読書もまた個性をつくるものなのです。

外面的な個性の表現がファッションなら、内面的な個性の表現が本棚にある本たちだと言ってもいいかもしれませんね。

友人宅に行っても、本棚は驚くほどその人を表しているものです。

無個性な人生を過ごしたくないなら、本巡りの旅にでるのも悪くないかもしれませんよ。

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