子ども虐待について

【子ども虐待】そろそろ虐待の捉え方を変えるべき【虐待の定義】

Summary

虐待という言葉を聞くと「自分には関係ないけど、たまに悲惨な事件が起こるしいつか何 […]

白黒の少女

虐待という言葉を聞くと「自分には関係ないけど、たまに悲惨な事件が起こるしいつか何とかするべきだよな」という感想を持つ人が大半なのではないかと思います。

しかし、本当にそうですか?

本当に虐待は自分に関係ないことなのでしょうか?

別にマザーテレサみたいに「無関心でいることが悪い」なんて言ってるんじゃないんです。そんなキレイゴトを言いたいんじゃない。ぼくが言っているのは、

「あなたも虐待の被害者に他ならないんじゃないか?」

ということです。

実際、多かれ少なかれ日本人で虐待の被害者でない人間などいないとぼくは思っています。

現代における虐待の定義とその影響をまとめていきたいと思います。

 

虐待の定義

厚生労働省のホームページでは虐待の定義について以下のように記載されています。

画像が見にくい場合のために改めてまとめてみましょう。

身体的虐待

殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる など

性的虐待

子どもへの性的行為、性的行為を見せる、ポルノグラフィの被写体にする など

ネグレクト

家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など

心理的虐待

言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子供の前で家族に対して暴力をふるう(DV) など

 

被害者でない人はいるか

当然親も完璧な人間でないのでこれら4つの定義の1つたりとも1度もやったことがないという親はいないかもしれません。

親も余裕がないときには子どもをぶったり、言葉で脅したりくらいはするかもしれません。

しかし、それは「しょうがないこと」としてなかったことにするのではいけません。

親から受けたそれらの行為は多かれ少なかれ子どもの人生に影響を残しているはずです。

自分が子供の立場なら「なぜ親はあんなことをしたのか?」、もし自分が親の立場なら「どうやったら余裕をなくさずそのようなことをしなくて済むのか」を考えるべきです。

とくに、子どもの立場としての自分を考えたときに、親から受けた影響を自分でできるだけ客観的に把握しておくことが重要なことになります。

なぜなら、特定の状況で余裕をなくしたり落ち着いて行動できなくなってしまうのはなんらかのトラウマが原因になっていることがよくあるからです

なので、自分が特定の状況で余裕をなくしてしまうならばなぜ余裕をなくしてしまうのかをじっくり考え、いつも余裕をもって行動できるようになることが子どもにとって心地よい環境を作る第一歩となるからです。

 

虐待の後遺症

虐待という言葉を聞くとどうしても暴力や育児放棄などの直接命に関わる過激なものを思い浮かべがちです。

もちろんそのような虐待も防ぐべきです。しかし、何事もグラデーション構造があるということを忘れてはいけません

上の図のように、「虐待を受けた」とは自信を持って言えないけど心の傷が癒えないまま生きているという人は少なくありません。

このような人々が自分の心の傷を自覚し、それを癒していく作業をすることがそれぞれが幸せに生きていくうえでもとても大切だし、社会全体で虐待を減らす上でも重要なことです。

 

さいごに

今回は虐待の捉え方に対する意見でした。

虐待は「されたか・されなかったか」という二値的なことがらではないのです。

このことを多くの人々が知ってくれれば、虐待を減らしていくことの第一歩になると思います。

 

子ども虐待防止策に協力いただける方はこちら(今一生さん主催:虐待防止策イベント2020)へ。

 

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