かなり大切な本たち

【文学】「罪と罰」を考察してみた【人生を変えた本】

Summary

「罪と罰、有名だから読んでみたいけど、長い……」 そう思った方は少なくないんじゃ […]

読書する女性

「罪と罰、有名だから読んでみたいけど、長い……」

そう思った方は少なくないんじゃないでしょうか。

現代は忙しい人が多く、活字離れの時代と言われるだけあって一般受けする小説も読みやすくてそれほど長くない小説が主流です。

そんななかドストエフスキーの「罪と罰」は総ページ数1166ページ。とんでもない長さです。

この記事はこんな方に読んでもらいたいと思います。

  • とても読めないけどどんな話か知りたい
  • 読んでみたいけど要点を押さえてから読みたい
  • 他の人の感想が知りたい

ぼくはうつ病からの回復期、大学院を事実上休学していた時期にこの本を読みました。当時は時間だけはあったのでじっくりこの本を読むことができました。

読んだときの年齢は25歳でした。25歳の若者が「罪と罰」を読んで考えたこと、考察したことを書いていきたいと思います。

 

超簡単なあらすじ

そもそも「罪と罰」とはどういう話でしょうか。

一言でいうと「頭で考えすぎる青年が愛を知って、人間らしさを取り戻すきっかけをつかむ物語」です。

この「頭で考えすぎる」という部分は現代人にも当てはまる大切なテーマではないでしょうか。

主人公のラスコーリニコフ(覚えにくいですね。ロシア文学あるあるです)は非常に貧しい生活をする大学生です。家族の期待を背負って出世するために学問にはげむ青年です。

当時、日本で言うと幕末か明治初期。まだ大学にいく人間など一般的ではないでしょうから、大学で学問を修めたとなると将来はとても有望と言えるのでしょう。

しかしこのラスコーリニコフ、やっていることと言えば部屋に引きこもってずっと考え事をしています。大学になど行っていません。

それも現代の大学生なんかとは違って、ただ怠惰が故に大学に行かないのではなくなにやら思想的な深みにはまってはい出せないという様子なのです。

そして、考えに考えた結果、金貸しの老婆を殺します

なぜ殺したか。それは、この老婆がため込んでいる金を奪って事業を起こし、金に困っている若者を支援することができれば社会が良くなる。

老婆一人の生活を支えるために一つのところにとどまっている金を世間に流せば、もっと多くの人間が幸福になる。

なぜそれが悪なのか?

こんなことを考えていたのです。

しかし、いざ殺してみたらラスコーリニコフは自分が凡人であったということを痛感します。奪った金を使う気になどなれず、いつ捕まるかとおびえる生活が始まるのです。

そのような状況になってもラスコーリニコフは自分の考えを改めはしません。

老婆を殺したこと自体は悪ではなかったと考えるのです。

そんな中、ラスコーリニコフはソーニャという娼婦と出会います。

ソーニャは過酷な生活環境から、望まないながらも娼婦を続けるしかありません。一方で彼女は非常に信心深いキリスト教徒でもありました。

ラスコーリニコフに聖書の一説を読み上げるシーンは言葉にできない迫力があります。

そして、ラスコーリニコフはこのソーニャによって愛を知り、更生のきっかけをつかみます。

 

頭でっかちな人間には至れない境地

「罪と罰」という作品、とくにラスコーリニコフとソーニャの関係性から強く感じられるのは「理性に捕らわれた人間には至れない人間らしく生きるための境地がある」ということです。

これは単にソーニャを賛美しているわけではありません。

しかし、ソーニャは、作中の頭でっかちなラスコーリニコフには決して到達できない境地にいとも簡単に到達していたという見方も可能なのです。

もちろん、ソーニャには教養があるとは言えません。聖書は熱心に読んでいますがラスコーリニコフに比べればよい教育を受けたとも言えませんし、社会的な地位もお金も何も持っていません。論理的に話すなんていうことも当然できませんし、ドストエフスキー文学のヒロインにしては珍しく優れた美貌の持ち主ですらありません。

遺憾なことながら現実論として、現代の価値観でも社会からは一切顧みられないような立場の女性なのです。

当時は生活保護等の社会保障もないでしょうし、今よりもっと蔑まれた生活を送っていたかもしれません。

それでも、彼女は信心深さを失わず、知れば知るほど人間として何か無視できない神聖なものを持っているように思えてならない。

そんな理屈を超えた魅力を持った女性なのです。

 

ぼくが人生を変えられた理由

なにを隠そうぼくもものすごく頭でっかちな人間でした。

というのも、頭でっかちになることでしか生き残れない環境だったということもあります。

15歳で初めてうつ病になり、なぜそうなったかわからなかったために自分の心理を分析するというようなことはずっとやっていました。

その結果、大学では数学を先行し、頭の使い方を徹底的に突き詰める方向に人生が傾き続けました。しかし、その結果、ラスコーリニコフと同じ、理屈でしかものを考えられない頭でっかちになってしまっていました。

最初の頃はうつを克服して生きていくという目的があったはずなのに、24歳になったころにはうつ病を再発し、なぜ生きるのかもわからなくなっていました。

真剣に自殺を考えていた時期も長く、一時期はあと2週間で自殺すると決めることでしか心の安寧を保てないまでに精神的に追い詰められていました。

しかし、「罪と罰」を読んで、うつ病になる前、まだ幼かったころ、理屈で考えなくても人間らしく生きられた時期のことを思い出させられました。

生きるということは本来、そんなに難しいことじゃなかったはずでした。母がいて、父がいて、弟がいて、友達がいて、それでなにも問題はなかった。

そんな時期がぼくにもあったということを思い出しました。

そのような、当たり前と言えば当たり前だけど、人間としてとても大切ななにかを思い出させてくれる。

そんな小説が「罪と罰」です。

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